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MacBookProの液晶画面が割れた。

 人生において2回目だ。ノートの液晶が割れたのは。
 人生って言うか、自分で初めてノート型パソコンを買ったのが20年くらい前だから、この20年で2回目。台数にしたら5台のうち2台で割ったことになるなぁ。
 
 1度目は、満員電車の中で鞄に入れて持ってたんだけど、会社で出したら割れてた。当時は渋谷の会社に勤めていて、すぐ側にMac専門の修理屋があったので、出社直後に駆け込んでその場で直して貰った。値段も交換部分も覚えてないけど、割れた数時間後には何事も無く仕事で使えてたので助かったのは覚えてる。

 で、今回2度目。機種はMacBookPro retina 15inch(2012 mid)。買って3年半ほどになる。500GBのSSD、16GBのメモリーと載せられるだけ載せた仕様で、今までに不具合はほとんど無い。

↓割れて一部表示できなくなった。左側の縦の黒いライン。
MacBookPro retina 15inch モニター割れ1
 モニターの左下を割ってしまい、その幅に合わせる様に縦にスジが無数に伸び、幅3〜4cmほどが黒くなっている。ワイド画面が標準サイズにになってしまった感じ。またこの写真では判りにくいけど、画面下側にも横に数本かスジが入ってる。

↓画面左端の拡大
MacBookPro retina 15inch モニター割れ2
 一番左端には色が付いているけど、画面上のものは何も見えない。この写真では画面下半分のエリアに何本か横スジが入ってるのも見える。

↓割れた部分の拡大
MacBookPro retina 15inch モニター割れ3
 左下端から画面中心に斜め上に伸びる様に、2本のヒビ割れが…。

 何でこんなところが割れたのかと言うと、出先で作業中に席をちょっと外す時に蓋(画面)を閉じた時、MagSafeコネクタが外れていて気づかず挟んでしまったのが原因。

↓こんな風に外れたMagSafeコネクタが本体に乗っていて…
MacBookPro retina 15inch モニター割れ4
↓それに気付かず蓋(ディスプレイ)をこんな風に閉じてしまった。軽く閉じただけなんだけど、一番負荷が掛かる根元だったので簡単に割れたらしい。
MacBookPro retina 15inch モニター割れ5

 ただ、席に戻って作業を再開しても画面に変化が無かったので、しばらく割れたことに気づかなかった。打ち合わせ場所に移動する時に再度蓋を閉じて持って歩き、改めて画面を開いたら最初の写真の様になっていて、その間どこかにぶつけてもいなかったのと、少し前にMagSafeコネクタを挟んだことを暫く思い出せず、何でモニターが割れてるのか最初は分からなかった。


 これが一昨日の出来事。このマシンは仕事で使う唯一のパソコンなんだけど、普段自宅の仕事場で作業する時は27inchの外部モニターに繋いでいて本体側の画面はメーラーやテキスト資料を開く程度なので、この程度画面が狭くなるのは、まぁ、我慢できるのだけど、ちょっと今月から出先で作業することが多くなったので、今のところ本体のこの15inch画面のみが作業領域で、デザイン作業するにはただでさえ狭い。それに持ち歩くとなるとどんどん見えない部分が広がって来そう…(既に最初より少し広がってる)。
 余計な出費だ…と「orz」状態の頭で中古パーツとか探してみたけど、無さそう…だし、どうもMacBookはretina以降、交換作業自体が難しいらしい。もう購入後3年半だし買い替えるか…とも思ったけど、今、その余裕が無い。修理代ですら痛くて少しでも安くあげたい訳で…。
 そんなこんなで1日半ほど悩んだけど、放置していても自然治癒する訳でもないし、腫れ物に触る様にマシンを持ち歩くのも、作業効率が落ちるのもストレス。修理代を少しでも安く…というのもあるけど唯一の仕事機を預ける訳にもいかないので、結局以前の様に持ち込みでその場で直して貰うことにした。

 「MacBookPro retina 液晶交換」とかで検索すると、上位に出てくる工房が新横浜にあった。『KSCAT(ケーズキャット)』という工房。他にも探してみたけど、retina画面のMacBookの修理自体を受け付けているところがあまり無く、ここで修理した人のblog記事なんかも検索で出てきて評価も高く信頼できそうなのと、表示してあった金額も(そもそも金額表示している工房が少ない)中では一番安かったので、“事故”から2日明けた昼前に悩むのを止め、予約の電話をしてバイクで新横浜まで(久々に第三京浜を走った)。

 工房の場所は新横浜のラー博の隣の雑居ビルの4F。中に入ると、ゴチャっとパソコンパーツが散乱していて、ひと昔前の秋葉原の裏手の店のイメージ(今もそういうのあるのかな?)。かなり怪しい雰囲気だけど店の人は凄く丁寧かつ気さくな感じで、初対面だけど話もしやすくてこの手の店に居そうなPCオタク的な匂いのしない人だった(先入観持ち過ぎ!)。

↓店の入り口のドア。
KSCAT入り口

 今日だけで10件以上液晶交換の予約が入ってるらしい。僕が何人目か忘れたけど、僕の直前の客も全く同じ機種で、同じ様にMagSafeコネクタを挟んで割ってしまった…と。世の中結構似た様な不注意で余計な出費をする人が居るんだなぁ〜と、若干『orz』感が減る。

 液晶シートだけ交換する場合、MacBookPro retina 15inchは税込約¥4.4万円ということなんだけど、僕の場合(僕の前の人も同じ)、液晶背面の光を分散するシート(の様なものらしい)まで負荷を掛けて変形させている様で、液晶シートだけ交換してもその部分(つまり割れた辺り)が白く光ってしまうらしい。…と言う実例を、店の人のMacBookがそうなっていて見せてくれた。場所は画面の左下隅だし少しでも安くあげる為に無視しようかと思ったけど…ちょっと常に目に入りそうな嫌さ加減。で、そのシートが5千円ということで、税込5万円ほどの修理代になった。
 ちなみに、アップルストアで修理すると12万円ほどかかるらしい。しかも2週間ほど預けないといけない。自分で調べた訳じゃ無いんだけど、その僕の前の同じ症状のお客さんがジーニアスバーでそう聞いてからウチに来た…と店主。

 交換作業には1時間半ほど掛かるので作業終了後携帯に連絡するとのこと。ならばと(昼飯喰ったんだけど)隣のラー博に復活した大好きな札幌“すみれ”でミニラーメンを食べ、逆の隣のフレッシュネスバーガーで珈琲を飲みながら待つ。1時間15分ほどで携帯が鳴った。

 さて、綺麗に直った。画面縁の黒いゴム(シリコン?)が劣化していて剥がすのが大変だったらしいけど、なんとか再利用してくれた様で、ありがたい。元々画面にはキーボードの跡が一部付いていたりもしたので、それも無くなり新品のMacBookと交換したみたいだ。実は僕のMacBookProのretinaモニターは画面にムラが出たりコーティングが剥がれやすい不具合があったらしく、今回の修理交換でその後の対策品に変わったのもちょっと嬉しい。まぁ、有料だけど…。

 マシンスペック自体に未だに不満は無くまだまだ現役で使いたいので、後はSSDが突然死しないことを祈るばかり…。
MacBookPro retina 15inch モニター割れ6
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鉄道模型趣味、と言うか…。

 “CD断捨離”の記事の冒頭で一言だけ触れたけど、子供の頃に集めたNゲージの鉄道型を、割と最近まで処分せずに(実家に)とってあった。いや、普段目にしないが故に忘れて放置していた…というのが現実に近いか。

 小4か小5くらいだったか、名前は忘れたけど文庫本サイズほどの鉄道模型の本を手に入れた。その本には“Nゲージ(線路幅が9mmの規格)”の詳しい説明やカラー写真も沢山掲載されていて僕はボロボロになるほど読み返し、1:148〜160のリアルな鉄道模型の世界にグイグイ惹き込まれた。物心着いた頃には既に鉄道が好きだったし、鉄道に限らずミニチュア模型やジオラマに惹かれる体質だったので(これは今でもだけど)、当然の流れだ。
 ただ、残念ながらお金持ちの家の子では無かった僕は、大人の趣味である鉄道模型を早々買い集めることは出来ず、たまの親へのおねだりや少ないお年玉を使って、2〜3ヶ月に一度、1両ずつ買うのが精一杯で、普段は模型店のショーウインドウを端から端まで1時間くらい眺めて帰る…というのが、小学生だった僕の鉄道模型趣味の“楽しみ方”だった。

 一番最初に買ったNゲージは、国鉄最初のブルートレイン『あさかぜ』(東京〜博多間)登場時にデビューした“20系”という型式の中で、編成末端に連結されていた“ナハフ20"という車両。“鉄な人”なら20系と言えば最初に思い浮かぶ顔的な車両だ。確か当時千円しなかったと思うけど、小五の僕は最初に何を買うか相当迷ったのを覚えている。その頃ブームだったスーパーカーの1:24のプラモデルとほぼ同じか少し高かったので…(プラモデルは買った後作って楽しめるけど、鉄道模型の車両は揃えて走らせるまでは…)。
 その後編成のもう一方の端になる電源荷物車の“カニ21”、中間に挟まれる食堂車の“ナシ20”と数ヶ月掛けて増やし、確か当時5千円くらいした牽引車(つまりモーター付き)の“EF65-500番台”をもの凄く緊張して購入し、漸く最低限の1編成ができたときは嬉しかった。ただ、ブルートレインなのに寝台車両が1両も入って無いという状態だったけど…(ナハフ20は座席専用車両)。
 でもその後は20系熱が若干冷め、同じブルートレインでも新型の24系を揃える方向に行ったり(当時発売されたばかりの24系は細部の出来が良くて)、電車型寝台の581系や“湘南電車”と呼ばれていたオレンジと緑色の近郊型の113系(この辺りはTOMIXが安かったのが理由だった様な…)、他は400〜500円で買えた貨物車両等をおこずかいが少ないときに“小腹を満たす”的に買っていて、結局20系寝台車は最初の3両以降増えること無いまま、中学時代半ばからはおこずかいはLPレコードへの変換がメインになっていった。
 ただ、鉄道への興味自体は中学以降も続いていて、交通公社の時刻表は愛読書だったし、たまに“撮り鉄”になったり(勿論そんな言葉はまだ無い)、鉄道関連の月刊誌(鉄道模型趣味、鉄道ファン、鉄道ジャーナルの3誌と、たまに鉄道ピクトリアル)を毎号買い続けるほどだったけど、それも大学一年の夏に二輪の免許を取ると同時に鉄道への興味が一気に冷めてしまった。国鉄からJRになってしまったのもあったかもしれない。鉄道のこと自体を嫌いにはならなかったけど(横浜の“原鉄道模型博物館”には感動した!)。

 で、そこから30年近く経って冒頭の断捨離に戻るんだけど、赤羽に“ヤマナカ模型”というちょっと大きめの模型&モデルガン屋があり、そこは鉄道模型の引取もやっていて、1〜2年前に試しに持って行ったら意外にもいくらか値段がついた。そのときは「ブルートレインだけ残そう」と編成が揃っていた24系も残したものの、たいして思入れは無いと考え直して結局24系5両1編成は処分した。鉄道模型を残すのでは無く、あの頃自分が感じていた“空気感”みたいなイメージを形にしておこう…と、一番最初に買った20系の3両とEF65(どちらも一部壊れてたのもあり)だけ残すことに。
 そうなると気になるのが『ブルートレインなのに寝台車が無い』という点。断捨離したのに新たに買い足すなんて本末転倒だし、買い足すのは「思い出なのか?」ということもあり、あまり考え無いようにしていたんだけど、先週またちょっと思い出してヤフオクを見ていたら、丁度足りなかった当時の旧製品版の2両が1500円で出品されていて、思わず落札。約40年掛かって20系のブルートレイン1編成がコンプリートした(旧製品は当時5種類のみ)。
 実はヤフオクで検索すると20系は沢山出品されてるんだけどそのほとんど’が新しいモデルで、比べると流石にディテールの出来が素晴らしいし、車両の種類も凄く増えていてちょっと買い揃えたくなるほど。…勿論買わないけど。
 兎に角、足りない寝台車だけ最新モデルになるのも…と思っていたので、ちょうど欲しかった2両の旧製品が出てたので、もうこれで思い残すことは無い(…なんだかんだ言って実は結構満足)。

 鉄道が趣味では無くなってからも心の隅にはずっと、生涯一度くらいは鉄道がメインの超細密な“ジオラマ”を作ってみたいという気持ちが消えずに残っていたんだけど、去年“ドロオフ”という模型作りの有志の展示会や、つい最近巣鴨にある“さかつうギャラリー”で超細密な模型やジオラマを見て久しぶりに模型熱が触発されて、あのレベルは無理としても自分で少し作ってみたくなった。あまり趣味を増やしたくは無いんだけど…(苦笑)
 まぁ、そんな訳で、手元に残したブルートレイン1編成を飾るための細長いショーケースを、ちょっとした“風景”付きで作ろうと思ってる。イメージは夜のホームに停車中のブルートレイン。ストラクチャー(建造物等の意味)も含めてなるべく市販品を使わず手造りして、既存製品も出来る限り細部まで手を入れてみようと思う。なので車両も作りの甘い旧製品でOK。子供の頃に憧れた国鉄時代の“寝台特急の旅情”をディスプレイ化するのが目標。

 とは言え、少しずつ気長に。

Nゲージ/KATO/旧製品/EF65-500+20系(1)
この6両編成で全長80cm弱。
Nゲージ/KATO/旧製品/EF65-500+20系(2)
後ろから。最後尾のナハフ20の丸い屋根が20系の特徴。
Nゲージ/KATO/旧製品/EF65-500
EF65 500番台。最初のブルートレイン牽引専用カラーの電気機関車。「やっぱり500番台がカッコイイなぁ〜」とか言ってた気がする。
Nゲージ/KATO/旧製品/カニ21
カニ21。『カ』は重量級客車の意味で、『ニ』は荷物車。20系はこの車両に編成の電源を集中し(だから重い)、客車の屋根部分を車両限界まで高くし空間を広げた。荷物部分は5t積めたらしい。
Nゲージ/KATO/旧製品/ナロネ21
ナロネ21。『ナ』は軽量客車、『ロネ』はA寝台の意味。ちなみに『ロ』だけだとグリーン車。『ネ』が寝台の意味。
Nゲージ/KATO/旧製品/ナシ20
ナシ20。『シ』は食堂車の意味。昔は特急列車と言えば食堂車がついていたけど、子供の僕には食堂車付き特急を選べる選択権は無く、極稀に食堂車で食べれたときは嬉しくて仕方なかった。
Nゲージ/KATO/旧製品/ナハネ20
ナハネ21。『ハネ』はB寝台の意味。『ハ』だけなら普通車。B寝台の三段ベッドの一番上に寝るのが好きだったけど、実は上野発の581系ばかりで20系に乗った記憶が無い(多分幼稚園の頃に一度乗ってる筈…だけど)。
Nゲージ/KATO/旧製品/ナハフ20
ナハフ21。『フ』は緩急車(車掌室と手ブレーキ設置)の意味。しかし、寝台特急に座席車両があったのが不思議(後に全て寝台車に改造されナハフは消えた)。
Nゲージ箱/さらば宇宙戦艦ヤマト
小学生当時作った“さらば宇宙戦艦ヤマト”のプラモデルの箱に入れていたのが、今もそのまま。ヤマトのプラモデルは数年持たずに爆破/撃沈された気がする…僕に。
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ラテの思い出。

 一昨日10月5日のお昼12時10分頃、ウチの愛猫『ラテ』が死んだ。子猫の頃から2年ちょっと、短い人生(猫生)だった。

 '13年の確か7月頃のある日、突然マンションの敷地内に子猫が現れた。多分生後3〜4ヶ月。部屋にいたときに外から猫の声が聞こえて来たので(僕は猫の声にすぐ反応する)出てみると、エラい大きな声で「ナァ〜!ナァ〜!」と鳴き続ける子猫が。その必死な様子が可哀想(なのと可愛いのと)で、一度部屋に戻り皿に餌を入れて近づくと、「ハァ〜!」と怒る。少し離れると「ナァ〜!ナァ〜!」とまた哀願するので、皿を置いて僕だけ離れると子猫は近寄り皿の餌を食べ始めた。
 白い毛並みに若干茶色の混じった色合いを見て、僕はその場で『ラテ』と名付けた。

 毎日マンション1階に餌と水を置くようになって暫く経ったある日、玄関のすぐ向こう側くらいから大きな鳴き声が聞こえる。やけに近いなぁとドアを開けると目の前にラテが。開けた途端に「ハァ〜!」と怒ったけど。どうやって2階のこのドアの主が餌を持ってくる人だと判ったのかは謎。それまでラテが階段を上がって来てたのを見たことは無かった。その日から餌と水は玄関の前に出すことにした。
 それからどのくらいだったか(多分2〜3週間)、今度はベランダ側の窓の外から鳴き声がするので開けると、ベランダにラテが。えっ?どうやって?と驚いたけど、ベランダ下の貯水タンクの上からジャンプしてきたらしい。よくそこがウチのベランダだと判ったなぁ…。ベランダに放置していた小さいロッカー型物置の中にベッドを作ると、ラテはそこで寝るようになった。いつもどこで寝てるんだろう?とちょっと心配していたんだけど、寝床を把握できて少し安心した。
ラテ写真一番古いもの
残っているラテの一番古い写真。玄関まで入って餌を食べているときだけ触らせてくれたけど、食べ終わると逃げる様に出て行く。'13年9月16日

 その年の10月、4日間の台湾旅行で家を空けることになり、その間マンションの隣人の友達に鍵を預けて、リム(は元々飼っていた猫)とラテの餌の世話をお願いした。勿論ラテは外暮らしなので餌を玄関前に出しておいて…と。そして旅行の初日の夜、その隣友人から餌やりの様子が写真でスマホに届く。で、ラテも部屋の中に居た…と。いや、入れて無いんだけど…。ウチの各部屋の窓には上側に小さなスライド小窓が付いていて、旅行中の換気のためにその小窓を開けておいたんだけど、ベランダ窓の小窓が開いていることにラテは気が付き、どうやらそこに飛び乗って入ったらしい。ベランダのロッカー型物置の上からでも、その小窓の小さく開いた部分(縦15cm×横40cmほど)まで距離も高さもあるのに…。ラテは観察力も身体能力も凄かった。

 ラテが部屋の中で過ごすようになったのは、この年の年末に近かったと思う。餌を室内で食べるようになってからも最初は食べ終わると逃げるように外に出て行ったんだけど、そのうち食べ終わってから僕ら夫婦が近づいても動じなくなり、部屋の中で暖かい場所を勝手に探し(大抵は元々リムのスペース)て寝るようになった。
 最初のうちは、夜になるとベランダの寝床にラテを寝かすようにしていたんだけど(実は賃貸の契約で1匹しか飼えない)、いつの間にか夜もウチの中で寝る様になった。とは言え、ノラの習性は抜ける訳も無く、1日に一度は「外に出して〜」とばかり、玄関脇やベランダ側窓横の壁をカリカリ爪研ぎをして僕らを呼び、そこでドアや窓が開くのを待つ。おかげでその部分の壁紙はボロボロ。もうウチの猫と思ってからは本当は外に出したく無かったんだけど(病気とかあるから)、閉じ込めっ放しもストレスで身体に悪い気もして(少しラテが嫌いなリムにも)、出たいと言うときは出していた。

 昼夜に限らず自由に外を出歩くので、ラテは時々他所でも餌を貰っていたらしい。前出の隣友人からもそうだし、同じフロアの別の住人からも。隣友人は僕に倣ってラテと呼んでいたけど、その同じフロアの人は別の名前で呼んでいた様だ(一度聞いたけど忘れた。和風の名前だった。 後に再度聞いたら“きなお”だった。きな粉のことだと思う)。向かいのアパートの人や(ラテがそのアパートの庇の上でよく寝ていた)他でもラテが餌を貰っているのを、僕は何度か目撃している。ラテはいくつ名前があったんだろう? 過去に2回か3回、2〜3日帰って来ないことがあって都度心配だったけど、もしかしたら他所でも部屋に入れていた人がいたかもしれない。
部屋で暮らし始めたラテ(と場所を侵食され始めたリム)
部屋で暮らし始めたラテ(左)と、ちょっと嫌がるリム(右)'13年12月31日
デスク上のラテの定位置
僕の仕事デスクの右隅がラテの定位置のひとつ。ここも元々はリムの場所だったけど。'14年5月17日
猫お約束の箱入り姿。『ラテ丼』。
上の写真と同じ箱で、猫写真お約束の『ラテ丼』。'15年7月8日

 ラテはよく、ウチの部屋の真下にある、敷地内のちょっとしたスペースに座っていた(そして下の部屋の人からもベランダ越しに餌を貰っていた)。ラテの“外回り”のルートは知らないけど、どうやら最後はそこに座るのがお決まりらしかった。
 嫁さんが仕事から帰ってくるときそこに居るラテを見つけると「ラテ〜」と声を掛けるんだけど、外で会うラテは僕らを見ても少しノラの顔をしていて、側に近寄ろうとすると若干後退りする。でも、やっぱり嫁さんのことは分かるようで、嫁さんが玄関開けて入って来た少し後から階段を上ってきて、「ナァ〜(開けて〜)」と鳴く。
 また、中々ラテが帰って来ないときは、ベランダから下を見ると大抵はそこに座っているので、「ラテ〜」と呼ぶと上の僕を見て「ナァ」と鳴いて歩き始める。僕は玄関に回ってドアを開けて待っているんだけど、「ナァ〜、ナァ〜」とずっと鳴きながらピョコピョコと階段を上ってくる姿が愛おしかった。

 この半年くらいだったか、僕らが寝る0〜1時頃にラテは外に出て行き明け方4〜5時頃にベランダから戻ってくる…という生活サイクルになっていた。暖かい時期だからベランダの窓は網戸状態で、ラテも未明で辺りの静けさに気を使うのか遠慮がちに「ナッ」と小さく短い声で一度だけ鳴くんだけど、その小さな声で僕は目が覚めて網戸を開ける。僕はすぐに布団に戻ってまた眠りに落ちる間にラテはリビングの餌場に直行。少しして餌を食べ終わったラテは布団に入ってきて僕の腕に頭を乗せて眠る…という毎朝のパターン。ラテがゴロゴロと喉を鳴らす音は大きく喧しかったし、あと、息が臭かったけど。多分内臓が悪くなったせいだろう。僕の顎に頭をグリグリと押し付けて甘えて来たときの感覚は今でも残ってる。
オレとラテ。クリスマスの朝。
'14年クリスマスの朝。まだ布団で寝ている僕とラテ。'14年12月25日

 一番最初にラテの異常に驚いたのは、去年の元旦、急にびっこを引いて歩き始めたとき。足を触っても特に反応しないんだけど、前足(右だったかな?)を着くときに力が入らないのかピョッコンピョッコンと歩く。病院に連れて行こうかどうか迷ったけど、結局それは2〜3日で何事も無かった様に消えた。
 次に驚いたのは今年の3月初旬に黄疸が出たとき。歯茎も鼻も唇も耳の中も真っ黄色と言えるほど。ネットで調べると黄疸が出た猫は(死ぬまで)早い…とか書かれているので、慌てて病院に連れて行った。ただ、黄疸が出ている以外は全く普通。食欲もあるし動向に何の変化も無い。結局血液検査だけで2万円取られて何も治療しないまま、一週間ほどで黄疸は消えた。もっとも検査の数値は一部酷く悪くて、このとき初めてラテが健康体では無いことを意識したんだけど。

 その後も急激に痩せたり(と思ってたら元に戻ったり)、やたらとヨダレを垂らす時期があったり…と、そんなに長くは生きられない猫かも…とは思っていたけど、さすがに2年ちょっとは予想外の短さだった。
 僕は自宅が仕事場なのでほとんどずっと猫達と一緒に過ごす訳だけど、リムは家猫だから事故や伝染病に対しては比較的安心できる反面、毎日必ず出掛けるラテのことはいつも少し心配で、この2年ほどの間はラテの存在は僕にとって特別だったかもしれない。そういう意味では大きな心配のネタがひとつ減った訳だけど、外階段を鳴きながら上がってくる姿や、明け方ベランダの外で一声だけ「ナッ」と短く鳴いて網戸が開くのを待っている姿がもう見れないのは、やっぱり少し寂しい。室内だけじゃ鳴く、マンション敷地内や周辺にもあちこちラテの思い出が残ってる。
マンションの外廊下で昼寝するラテ。
マンションの外廊下で昼寝するラテ。僕ら以外の住人が近付くと逃げるけど。'14年7月25日

 小二のときに初めて猫を飼って以来、十数匹の猫達との別れを経験しているんだけど、死ぬのはいつも学校や会社に行っている間だったり実家を出た後の出来事だったから、今回初めて死に際を看取った。それとわずか2年弱とは言え、こんなに日常長い時間一緒だった猫が死んだのも初めてだ。結局のところ、実家の猫はお袋が飼っていたようなもので。
 ラテは最後の2〜3時間、急に呼吸の間隔が短くなり、残りの1時間弱は何度も身体が痙攣を繰り返した。多分苦しかっただろうと思う。目を見開いたまま呼吸が止まった直後も、身体がビクッ、ビクッっと十数秒間隔で2〜3回大きく動いた。まだ生きてるのかな?とお腹の動きを見つめたけど、やっぱり止まったまま。自分で猫の死亡を確認するのは初めてだから、なんだか「死んだ」と思って良いのかどうか一瞬迷った。暫くして身体が硬く冷たくなってくるから、「ホントに燃やして良いのかな?」という心配をするまでも無かったけど。

 最後の10日間ずっとほとんど寝ていて食べても無かったので、すっかり骨と皮の状態になっていたけど、それでも自分でトイレに行ったし(お漏らしもしたけど)水も飲んでいた。寝ていた場所も時々自分で移動していたし。3日目から注射器型のスポイトで流動食を舐めさせるようにしていたけど、5日目くらいから少し自分で食べるようになっていたし、死ぬ前の晩に寝床の横に少し出してあった餌も朝には無くなっていて、最後の朝も寝床から出て来て僕の方に鳴きながらヨロヨロと歩いて来ていたので、また少し元気になるかな?と思ったりもした。とは言え、症状から明らかに腎臓が悪く、それはどうやら治ることも長生きすることも無いらしい…というのは知っていたから、その後すぐに呼吸が急に短くなってからは、今晩は持たないかもしれないなぁ〜と思い直した。まさかそこから2〜3時間で死んでしまうとは思って無かったけど。

 ただ、良かったと思うのは、たまたま嫁さんが仕事が連休だったこと。最期を一緒に看取れたし、翌日火葬場へ亡骸を預けに行くときも一緒に行ってお別れをすることができた。ラテが嫁さんの連休を狙ったとは思えないけど、二人が朝からずっと部屋に居たから安心して力が抜けたのかもしれない。
抱き上げるととにかく脱力するラテ。
抱き上げると全力で脱力する猫だった。'14年3月31日

 ラテが死んだ5日の夜、前述の元隣友人(結婚して引っ越した)夫婦との飲み会の予定をたまたま入れていたので、そこでラテの死を直接伝えられた(これもラテは知ってたのか?)。で、帰って来てから酔っていたせいもあり、留守番させていたラテの亡骸を見て初めて急に涙が出て来た。去年好きだったお袋が死んだけど、未だに一粒の涙も流して無いのに(苦笑)。猫が死んで泣いたのは、小二のときに僕にとって初めてのペットだった“ニャン太”が、たった半年ほどで事故で突然死んだとき以来かも。

 もしかしたら、強引にでも部屋に閉じ込めて飼っていたら病気にはならなかったかもしれない…とも思わなくは無いけど(病気は生まれつきだったかもしれないし、死因も調べて無いけど)、外に出たがりつつも必ず帰って来て一緒に寝てくれることはラテが自分で選んだ訳で、強要しなかったが故に僕らが得られた幸せだとも思う。短い間だったけど僕ら夫婦のところに来てくれてありがとう(…とラテに言っておいた)。
ラテの一番可愛い顔の写真。
多分一番写りの良い顔のラテ写真。'14年2月8日
死んだラテ。黄色い花が似合う。
最後のラテ写真。'15年10月5日
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売るに売れないケース無しCD 全タイトル

前々記事“断捨離『CD編』”の資料ページ。

 さて、こちらは最後に“断捨離対象”になったけど、最初に保存版と決めてプラケースを捨ててしまい行き場を失ったCD達。中途半端に37タイトル。


【YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)】
◇ YMO リミキシーズ テクノポリス2000-00(リミックス盤)
◇ YMO リミキシーズ テクノポリス2000-01(リミックス盤)

【ヤモ】
◇ タイム・パイ

【デペッシュ・モード】
◇ ニュー・ライフ
◇ サウンズ・オブ・ザ・ユニバース
◇ ストレンジ・ラヴ(ロングバージョンのミニアルバム)
◇ ソングス・オブ・フェイス・アンド・デボーション
◇ ウルトラ
◇ エキサイター
◇ プレイング・ジ・エンジェル
◇ フォー・ザ・マースィズ 〜デペッシュ・モード・トリビュート〜

【U2】
◇ ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム(2枚組)
◇ オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド
◇ ズーロッパ
◇ ポップ
◇ ザ・ベスト・オブU2
◇ アクトン・ベイビー
◇ 魂の叫び(Rattle and Hum)

【アダム・クレイトン&ラリー・ミューレン】
◇ ミッション・インポッシブルのテーマ

【ウルトラヴォックス】
◇ システム・オブ・ロマンス
◇ ザ・コレクション
◇ ライヴ・イン・イタリー
◇ エクステンデッド・ウルトラヴォックス

【ミッジ・ユーロ】
◇ アンサーズ・トゥ・ナッシング
◇ ピュア
◇ ブリーズ

【デュラン・デュラン】
◇ ストレンジ・ビヘイヴァー(2枚組)
※DURAN 2 は最初に全て保存版にしていたんだけど、9タイトルのプラケースが何故か残っていて“無事”BOOK OFF行き。

【スクリッティ・ポリッティ】
◇ アノミー&ボノミー

【ハワード・ジョーンズ】
◇ イン・ザ・ランニング
◇ エンジェルズ&ラヴァーズ

【デヴィッド・シルヴィアン】
◇ デッド・ビーズ・オン・ア・ケイク
◇ ゴーン・トゥ・アース

【JBK】
◇ _ISM

【ドルフィン・ブラザーズ】
◇ キャッチ・ザ・フォール

【スティーブ・ジャンセン&リチャード・バービエリ】
◇ ストーン・トゥ・フレッシュ

【ミック・カーン】
◇ ベスチャル・クラスター

【ガーベイジ】
◇ バージョン2.0

【スウィングアウト・シスター】
◇ イッツ・ベター・トゥ・トラヴェル


 さて、どうしたもんか…。


→【マイ・フェイヴァリットCD 全タイトル】(2015.8現在)
たまには音楽の話。 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

マイ・フェイヴァリットCD 全タイトル

前記事“断捨離『CD編』”の資料ページ。

 今回(2015.8)の断捨離の結果、処分せず残したCD全90タイトル。それなりに好きなアーティスト作品でも処分したものが結構あるんだけど、できるだけ枚数を減らすために最終的に決めた保存盤の条件は…

 (概ね)全曲好きで、今でもなんだかグッと来るアルバム

 結果的に残ったのは、当時「擦り切れるほど聴いた」ものが多いので、曲が良い、好み、ということの他に、当時の思い出や雰囲気を感じる刷り込み効果が多分にある気がする…。


【YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)】
◇ イエロー・マジック・オーケストラ(日本版)
◇ イエロー・マジック・オーケストラ(米国編集盤)
◇ ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー
◇ 公的抑圧(パブリック・プレッシャー)
◇ X∞増殖
◇ BGM
◇ テクノデリック
◇ サーヴィス
◇ コンプリート・サーヴィス(2枚組)
◇ テクノドン
◇ テクノドン・リミックス
◇ ライヴ・アット・紀伊国屋ホール1978
◇ ライヴ・アット・武道館1980
◇ フェイカー・ホリック(2枚組)
◇ YMO GO HOME(2枚組)
◇ UC YMO(2枚組)
◇ ハイ・テック/ノー・クライム(リミックス盤)
◇ YMO vs ザ・ヒューマン・リーグ(リミックス盤)

【コズミック・ヴィレッジ】
◇ ナイス・エイジ(YMOリミックス盤)

【坂本龍一】
◇ 千のナイフ
◇ B-2 UNIT
◇ 音楽図鑑完全盤

【高橋幸宏】
◇ サラヴァ
◇ 音楽殺人
◇ ニウロマンティック
◇ ホワット・ミー・ウォーリー? ぼく、だいじょうぶ?

【サディスティック・ミカ・バンド】
◇ ホット・メニュー!
◇ 黒船

【クラフトワーク】
◇ アウトバーン
◇ 放射能(Radio Activity)
◇ ヨーロッパ急行(Trans Europe Express)
◇ 人間解体(Man Machine)
◇ コンピュータ・ワールド
◇ エレクトリック・カフェ
◇ THE MIX
◇ エキスポ2000
◇ ツール・ド・フランス・サウンド・トラック
◇ ミニマム・マキシマム
◇ トリビュート・トゥ・クラフトワーク

【デペッシュ・モード】
◇ ア・ブロークン・ファーム
◇ コントラクション・タイム・アゲイン
◇ サム・グレート・リウォード
◇ ブラック・セレブレーション
◇ ミュージック・フォー・ザ・マッセーズ
◇ デペッシュ・モード101〜ライヴ・イン・パサディナ〜(2枚組)
◇ ヴァイオレーター

【ウルトラヴォックス】
◇ ヴィエナ
◇ エデンの嵐(Rage In Eden)
◇ カルテット
◇ ラメント
◇ U-VOX
◇ オール・ストード・スティル・イン・福岡(ブート盤)
◇ プライヴェート・ライヴス・イン・東京(ブート盤)
◇ ワン・スモール・デイ・イン・ロンドン(ブート盤)

【ミッジ・ユーロ&ウルトラヴォックス】
◇ イフ・アイ・ワズ:ヴェリー・ベスト・オブ・ミッジ・ユーロ&ウルトラヴォックス

【ティアーズ・フォー・フィアーズ】
◇ ザ・ハーティング
◇ シャウト(Songs From The Big Chair)
◇ シーズ・オブ・ラヴ

【JAPAN】
◇ アッセンブラージュ
◇ クワイエット・ライフ
◇ 孤独な影(Gentlemen Take Polaroids)
◇ 錻力の太鼓(Tin Drum)
◇ オイル・オン・キャンヴァス

【U2】
◇ WAR〜闘〜
◇ 焔(The Unforgettable Fire)
◇ ヨシュア・トゥリー

【ニック・カーショウ】
◇ ヒューマン・レーシング
◇ ザ・リドル
◇ レディオ・ミュジコーラ
◇ ザ・ワークス
◇ ザ・コレクション

【ハワード・ジョーンズ】
◇ かくれんぼ(Humans Lib)
◇ ドリーム・イントゥ・アクション
◇ ワン・トゥ・ワン
◇ クロス・ザット・ライン
◇ ライヴ・アコースティック・アメリカ
◇ メタモファシス

【Yazoo(Yaz)】
◇ オンリー・ユー(Upstairs at Eric's)

【デュラン・デュラン】
◇ リオ
◇ デュラン・デュラン(ザ・ウェディング・アルバム)

【ザ・パワー・ステーション】
◇ ザ・パワー・ステーション

【カジャグーグー】
◇ 君はトゥー・シャイ(White Feathers)

【ロキシー・ミュージック】
◇ アヴァロン

【シンプル・マインズ】
◇ スパークル・イン・ザ・レイン

【ピーター・ガブリエル】
◇ So

【ドナルド・フェイゲン】
◇ ザ・ナイトフライ

【トーマス・ドルビー】
◇ 地平球(The Flat Earth)

【スクリッティ・ポリッティ】
◇ キューピッド&サイケ85

【ジャミロクワイ】
◇ トラヴェリング・ウィズアウト・ムービング 〜ジャミロクワイと旅に出よう〜

【MARRS(マーズ)】
◇ パンプ・アップ・ザ・ヴォリューム


 さて、下記の面々を処分しカジャグーグーを残すのか〜!と、自分へ突っ込んだり…。

 ちなみに残した上記のアーティストのうち、U2、デペッシュ・モード、ハワード・ジョーンズ、シンプル・マインズ、デュラン・デュラン、高橋幸宏…辺りは、一時大好きだったせいでその後惰性で買っていた時期も長く、結局処分した枚数の方が圧倒的に多い。

 そして以下は、複数枚持っていたけど1枚も残さず処分したアーティスト。
a-ha、ABC、バックストリート・ボーイズ、バナナラマ、ザ・ビートルズ、ベル・ビヴ・ディヴォー、ビッグ・カントリー、ブラック、ブロンスキー・ビート、ブロス、ブライアン・フェリー、ボン・ジョヴィ、ザ・カーディガンズ、ザ・カーズ、ザ・ケミカル・ブラザーズ、カルチャー・クラブ、ザ・コミュナーズ、キュリオシティ・キルド・ザ・キャット、デビッド・ボウイ、デビッド・シルヴィアン、デッド・オア・アライヴ、エレクトロニック、ユーリズ・ミックス、エヴリシング・バット・ザ・ガール、フランキー・ゴーズ・トゥー・ハリウッド、ガーベイジ、ジョージ・マイケル、ホリー・ジョンソン、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、ヒューマン・リーグ、インフォメーション・ソサイアティー、INXS、THE KLF、カイリー・ミノーグ、レッド・ツェッペリン、レヴェル42、リンプ・ビズキット、リンキン・パーク、リヴィング・イン・ア・ボックス、ロンドン・ビート、M.C.ハマー、ミック・カーン、ミッジ・ユーロ、ザ・モンキーズ(←LP残し前提)、Mr.ミスター、ポール・ヤング、ペット・ショップ・ボーイズ、リック・アストリー、ライト・セッド・フレッド、ロビー・ネヴィル、ロバート・パーマー、Run-DMC、シンプリー・レッド、スケッチ・ショウ、スパンダー・バレエ、スパイス・ガールズ、スティング、スタイル・カウンシル、スウィング・アウト・シスター、テイ・トウワ、トンプソン・ツインズ、アンダー・ワールド、ワン・チャン、ワム、オフコース、土屋昌巳、電気グルーヴ、808ステイト

 更に1枚しか持ってなくて処分したのは数知れず…。
 いずれにしても上記を見れば明らかな様に、YMO系とクラフトワーク以外は(それだけで大半だけど)、残したのも処分したのも80〜90年代半ばの英国系ポップ、テクノが中心。…って言うか、2000年以降にメジャー・デビューしたアーティストでCDを買ったのは、リンキンくらいかも…(1stアルバムがギリギリ'00年発売)。

 ちなみに、友人・知人のジャズ・アルバムが全部で10枚ほどあるけど、主旨と違うので割愛(勿論、楽曲好きだから保存盤)。


→【売るに売れないケース無しCD 全タイトル】(2015.8現在)
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断捨離『CD編』。

 ほんの10〜15年くらい前までは僕の部屋は(比較的整理はされていたものの)モノで溢れていた。例えば漫画の単行本や定期購読の雑誌、古くはカセットテープ、アナログ盤レコードやVHSテープの様な少しずつ確実に溜まっていくモノや、押入れの奥で何年も眠り続ける微妙に踏ん切りが付かず捨てられないモノ。あと概ね読み返すことはない新刊本や文庫本。それと食玩やプラモ、鉄道模型やミニカーなんかのオモチャ類。
 たまの引越しや趣味が変わったりで時々一気に処分するんだけど、その隙間を埋める様にまた別のモノが溜まり始める。買っては捨て…の繰り返し。漫画の単行本なんて一度数百冊を全部処分した後にまたジワジワと増え、つい4年ほど前に約2百冊を再び処分したばかり…。
 ずっとそんな感じだったのが、10年くらい前(40歳前後)からようやくお金の使い方がモノからコトへと変わってきて、以前と比べれば随分物欲が減って余計なモノを買わなくなったし(何かちょっと欲しくなっても、どうせ後で捨てるのか…と思うと)、モノを沢山持っていること自体に嫌気が差してきて処分の方も少しずつ進め、今では随分部屋がすっきりした。もう少しで無駄と思えるモノは全て排除できそう。

 で、今回、最大の難関だった“音楽CD”を、ついに断捨離した。…と言っても、90タイトルだけ残すことにしたんだけど。

 10年くらい前まで640〜650枚ほどあったCD。ただ、ジャケ買いや流行りで買ったものの、その後ほぼ聞いてないのも結構あって、数年前からそういうのを中心にiTunesに(ほとんどAACだったので)Appleロスレスで再取り込みしてから処分していた。それが300枚ほどまで減らしたところでHDDの容量が無くなったのと、枚数が減るに連れて愛着度が高くなるので選別が面倒になり、この2年くらい作業が止まっていて…。

 実はこの10年ほど普段音楽を聴かなくなっていたので、雑誌やマンガと違って一応音源はiTunesに残すし、最悪バックアップも含めて飛んでしまっても、今時1曲単位で簡単に手に入るし(音楽はiTunesでしか再生しないのでCDクオリティは不要といえば不要)、CDの紙ジャケがそんなに愛おしいかと言うと…?。やっぱり1枚残らず捨てても良いんじゃ無いかとも思った。断捨離の本質的に。ただ、25年以上も買い集めて来たことや、本当に好きなアーティストやアルバムは中々吹っ切れず、フェイバレット盤だけは…と。

 それにしてもいざ処分するとなると、選択の基準に悩んだ。1〜2曲だけ今でも気に入っているアルバムや、ファンとは言えないけど割と好きな大御所の名盤やベスト盤なんかを残すと、枚数が全然減らない。結局基準を『ほぼ全曲好きで、今でもなんだかグッと来るアルバム』に変更した。
 するとそのほとんどが、お金が無くてLPやCDを簡単には買えなかった、一番音楽にハマっていた頃に聴いた作品に集中した。'80年代+αの10数年間。いわゆる“80's”モノがメイン。
 しかし、その後少し好みが広がったにしても、基本的に僕の“音楽耳”はこの時期で止まったんだなぁ〜と、今回自分で選んだCDを再聴しながら改めて。いや、知ってたけど。

 ここ数年の音楽の好みは、ジャズ・ライヴだったりクラシックのピアノ曲だったり、とにかく“生音”や“生演奏”が中心で、ヒットチャートで流れる“最新の作られた音”を聴いてもほとんど何も感じなくなった。YMOやクラフトワーク、ニュー・ロマンティクス系の古い電子音は、未だにグッと来るって言うのに。極稀にちょっと良いなぁ〜と思うヒット曲があっても、どこか'80〜'90年代初めの雰囲気があったりする。まぁ、歳を喰った証拠か…。
(ちなみに少し前にちょっと気に入ったのはコレ↓)


 で、作業をコンプリートさせる段階で少し後悔が…。
 実は最初に自分の中で普遍的だと思うアーティストのCDは全部残すと決め、さっさとプラケース(背/裏面の紙ジャケを挟んだまま)を捨ててファイリングしたんだけど、枚数減らしを進めていく中でこの中からも処分相当盤が結構出てきた。いや、最初に盲目的に決めずに考えるべきだった。それらは最初から保存盤では無かった筈。
 好きな(好きだった)アーティストでも惰性で新譜を買っていた時期のモノだったり、今聴くと当時ほどの思い入れを感じられ無かったり…と、合わせて37タイトル。これ等はプラケースが無くいからBOOK OFF行きは不可能。つまり“処分=捨てる”となり、それはそれでなんか勿体なくて…。保存スペース的はファイル1冊だから特別邪魔にはならないんだけど、なんか“二軍”感満載のCDファイルが…。


 ところで、実はアナログ盤LPが四半世紀以上実家に置きっ放しだったりする。先月お盆で帰省したときに数えてみたら約70枚あった。レコード店の売り場面積の半分以上がCDに移行する頃まで買っていたもの。
 ちなみに人生で一番最初に自分で買ったLPは、映画版『銀河鉄道999』のサントラ。音楽にハマり掛ける中学一年の頃('79年)に買った。勿論まだある。最初はLPなんて早々買えず、たまたま当時TVで再放送していて好きになり、たまたま家にLPがあったザ・モンキーズを聴いていた(LPの話は、また別の機会に)。
 で、アナログ盤は基本的に処分せず、いずれインテリアとして飾ろうとか思ってたりするんだけど、半分以上はCDとタイトルが被ってる(大半をCDで買い直したつもりでいたんだけど、LPしか無いのが結構あって驚いた)。同じ音源をCDとLPで両方持つ意味って何かあるんだろうか?(現状レコード・プレーヤーはウチに無いけど)。小さなパンフ的冊子みたいなCDジャケットには一辺30cmの厚紙ジャケットの存在感は全く無いから、CDクオリティの音源を持つ意味合いになるんだけど…(それはLPが有ろうと無かろうと同じか)。仮にLPと被っているCDのみ処分するとしたら、それはそれで“断捨離”の中途半端感があるし…。
 久しぶりにLPジャケットを見て、こんなにデカいのを学校に持って行って友達同士で貸し借りしてたんだよなぁ〜なんて思い出しながら、やっぱりCDは要らないのかな…なんて、また迷い始めて。

 って言うか、LPは持っておくのか?オレ。
保存盤CDファイルケース
→【マイ・フェイヴァリットCD 全タイトル】(2015.8現在)
→【売るに売れないケース無しCD 全タイトル】(2015.8現在)
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7月のもてぎライパの話。

 随分前に途中まで書いて、ちょっとボヤき過ぎたかな?…と放置していたんだけど、やっぱり書き上げておこうと思い…。

 ここ何年かは海の日に開催される『もてぎライパ』で今年も走って来た。サーキット走行自体は5月末に参加した『袖ヶ浦マル耐』に続き、今年2回目。
 もてぎライパは今年で何度目の参加だろう? もう6〜7回くらいかな? それ以前の10数年間は那須サーキット(1周1.4kmほど)と言う小さなコースばかりで(他に2〜3回筑波は走ったけど)、直線も短いしコース幅も狭いところで大したスピードも出なかったから、初めて広大な“ツインリンクもてぎ”を走るときは相当ドキドキしていた(もっとも那須を初めて走ったときは初サーキットだったから、最初の頃はドキドキじゃなくバクバクだったけど)。
 それが今やすっかり緊張感なんて全く無くてダラダラ。少なくともフリー走行になるまで心拍数が上がることはない。それでも走り始めればブレーキング時は相変わらず恐怖心との戦いだし、タイムはずっと伸び悩みだけど(って言うか落ちてるけど)、ライパ自体のお祭り的な緩い雰囲気もあり、年に1度のピクニックをみんなで楽しむ感覚。
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 ただ、今回のライパは走行枠が以前より1回減った上に(完熟走行2回は同じだけどフリー走行が1日5回→4回に)、1回目のフリー走行時、いきなり1周目に転倒者が出て赤旗で走行中止。更に走行枠が1回減ったことを最初認識していなくてランチで1回をパスしたこともあり(自分のせいだけど、去年までの慣習で)、結局きちんと走れたフリー走行はたったの2回。多分合計10周程。試乗を申し込んでおいたYAMAHA R-1Mにも結局乗れず終いで、だいぶ不満の残る今回のもてぎライパだった。
 サーキットだから転倒者が出るのも仕方ないし(それについては他人のことを言えない)、サーキット占有費も高いんだろうけど、それにしても去年までは若干時間は押し気味ではあったけど、なんとかフリー走行を1日5回走れてた訳で…。参加台数は増えて(以前は確か200台で満員と言っていたのが、今回は240台)走行時間が減ったにも関わらず料金(3.5万円)は据え置きのまま…。
 そう言えば数年前までは、毎回必ず全員にロゴ入りのTシャツやタオルが貰えたし(また欲しいという意味では無く)、サーキット内の飲料自動販売機は時間内無料で飲み放題だった(今は一人ペットボトル2本までなら無料)。長年続いたケータリングのランチが、今回からサーキット内のレストランで用意した2種類のメニューから選べる様になったのは良いとしても(味はそれなりだけど以前よりは…)、なんだかなぁ〜という印象。
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 サーキット・ライセンス無しで自由に“もてぎ”を走れる走行会はそう無いし、きっちり先導車付き完熟走行があるのも素人が大半だから良い点だし(故にいろんなレベルの仲間が一緒に参加できる)、毎回魅力的な試乗車も何種類か用意されたり、勿論ネモケンさんのタンデム体験も然りで、ライパならではの良さがあって参加しているのだけど、以前を知っているだけにコストパフォーマンスについてはもう少しなんとかならないかなぁ〜と思ってしまう。
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 さて、ぼやきを一通り書いたところで走りの方なんだけど、去年と違い2ヶ月ほど前にマル耐でサーキットを1度走っていたとは言え、やはりもてぎを年に1度(しかも今回は10周ほど)走るだけじゃ、早々簡単に上達する訳も無く…。
 ただ、前回のマル耐でブレーキング時の身体の“姿勢”に自分でしっくり来なかったので、以前は出来ていた(筈の)ブレーキング時に外足だけで身体を支えてハンドルに余計な入力をしない…という基本を、今回意識して治してみた。そしてその感覚を少し思い出して来たところで、数年前にロッシが始めて今ではすっかり定着した“内足をぶら下げる”姿勢を見様見真似でやってみたんだけど、これが意外な発見があって面白かった。
 何かと言うと、内足を宙に浮かすことで上半身を支えるのは外足だけになる…という状況が強制的に作られる点。外足でガッチリ身体をホールドしているが故に内足を外せる(勿論そうなんだけど)…という風に思っていたので、内足を外す意味が今ひとつ解らなかったし、自分で体感するまで逆の発想を全く想像出来なかった。鶏と卵みたいだけど。
 そう言えばロッシが何かのインタビュー記事で、「内足がバイクに余計な入力をしない様にしているんだ」という風な感じで答えていたけど、それがこう言う意味なのかもしれない(勿論、全然違うかもしれない)。
 もっとも、左コーナーのブレーキング時はシフトダウンでイン側の足を使うので、足を外すタイミングが解らなかったり(そもそもシフトダウンのやり方を僕が間違っている可能性もある)、やっぱりまだ内足を外すことに慣れていなくて簡単に何度も試せなかったけど、何にしても今までとちょっと違う感覚を味わえて新鮮だった。

 …と、もてぎのスピードレンジに少し馴染み始めた頃に、今回は走行時間が終わってしまった。ライパの雰囲気は緩くて好きだけど、高いは走れないは…となると困りモノだ。上手くなるには沢山走るしか無い訳だけどそこまでストイックじゃ無いから、レベル的にはライパくらいが丁度良いんだけどなぁ…。

↓当日友人が真後ろから撮ってくれた。コースイン1周目は追い越し禁止でコース下見的にゆっくり走る…ので直前に居るのが僕。フリーになった2周目、3コーナー辺りから離れてしまうんだけど、映像は一応2周目が終わるところまで。


 今年はサーキットを走り初めてから20年目の年で、最初に作った革ツナギを今でも着ているのは驚きだけど、それより、ビビりでド下手だった自分が20年も(実際は年2〜3回走るくらいだけど)サーキットを走ることを止めてないことや、だいぶマシになったと思いつつも相変わらず怖がりながら走ってるなんて、昔は全く想像していなかった。多分、僕レベルがそこそこ上手くなるくらいではビビりは一生消えないんだろう。それでもずっとサーキットを走り続けたい気持ちが変わらないのは、やっぱり僕はバイクがちょっと好きなんだなぁ〜と、しみじみ。

 次回のサーキットは11月の“マル耐”(の予定)。
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※「ちょっと好き」と言うのは、そもそも多趣味なので…(苦笑)
我が名はバイク乗り。 | permalink | comments(4) | trackbacks(0)

喜寿。

 ちょっと前、先月30日の話。

 7年前、両親の古希の祝いということで、当時まだ独身だった弟と離婚したての僕との家族4人で、お台場のホテル日航東京で記念撮影と食事をしたことがあった。それが何年前だったかはすっかり忘れていたんだけど。先月お盆に帰省したときにそんな話も出なかったし。
 帰省から戻って何日かしてから弟からメールが来た。「ホテル日航東京が9月一杯で営業終了するらしいんで、その前に一度みんなで行きたいんだけど、来ない?」と。なんか日航東京が無くなってしまうのがちょっと寂しいと言うのだ。ホテルは10月から“ヒルトン東京お台場”になるらしい。ちなみにこのときもまだ“喜寿”の話は出ていない。
 なんで弟がそんなにホテル日航東京に思い入れがあるのか不思議だったんだけど、どうやら会社の海外出張で貯めているJALのマイルが使えるので、時々食事なんかに来ていたらしい。勿論僕は7年前に一度行ったっきり。
 まぁ兎に角、親父と弟夫婦と生まれたばかりの姪っ子達は一緒に食事&宿泊をして、ついでにまた家族写真を撮ると言うんで、我が夫婦も記念撮影と食事だけ参加することにした。このときもまだ、僕は親父の“喜寿”には気付いていない。

 前回は食事の前にたまたま少し時間が空き、急に思い付きで記念撮影することなったんだけど、今回は前もって写真スタジオも予約したので、待ち時間もほとんどなくスムーズに事は進行した。
 撮影直前スタジオの女性に「ご家族で何かの記念ですか?」と聞かれたので、僕は「なんか、ホテル日航東京終了記念みたいです」と冗談交じりに返し、スタッフ側の作り笑顔を若干微妙な感じにしたんだけど、一瞬間をおいて弟が「まっ、今月は親父の喜寿の祝いでもあるんだけどね」とサラリと。そこで初めて知った。えっ?あっ、そうだっけ。今年は2015年。親父は1938年8月生まれ…で引くと。

 まぁ、そんな訳で、7年前から3人増えて1人減った同じ苗字の家族写真を無事撮影した。
ホテル日航東京/喜寿記念撮影1
ホテル日航東京/喜寿記念撮影2
 撮影後、7年前と同じ和食の店に移動。「さくら」という店。今回は人数も少し多いし赤ちゃんも居るので、弟は個室を予約していた。久しぶりに贅沢な雰囲気を味わった。
ホテル日航東京/喜寿お祝い食事1
 前回は和食も日本酒もよくわからないまま弟と2人でワインを飲んでたけど、この7年間で日本酒に対する舌は相当肥えて、それに合わせて(多分加齢もあり)和食がかなり好きになっていたので、ただ美味しいだけじゃなく心に沁みる。ゆっくりと楽しい家族水入らずの贅沢なお酒と食事になった。…あっ、祝いの席になった。
ホテル日航東京/喜寿お祝い食事2
ホテル日航東京/喜寿お祝い食事3
ホテル日航東京/喜寿お祝い食事4
ホテル日航東京/喜寿お祝い食事5
 個室を予約したからなのか、テーブル横にクーハン(と言うらしい。乳児用のカゴみたいな小さなベッド)が用意されていて、姪っ子はたまに一瞬ぐずるくらいでずっと大人しく寝ていた。約2週間ぶりの再会だったけど、何故かやっぱり可愛い。
ホテル日航東京/喜寿お祝い食事6
ホテル日航東京/喜寿お祝い食事7
 食事の後、その日泊まる弟夫婦と親父の隣同士の部屋の“見学”を兼ねてお邪魔し、少し休憩。部屋に入るなり早々に眠ってしまった喜寿の親父は良いとして、一人部屋で赤ちゃんの世話をする義妹には申し訳ないと思いつつ、弟と僕ら夫婦の3人でお台場のショッピング・モール内のイタリアンへ。喜寿の祝いには参加できなかったお袋の思い出話を肴にワインを1本空け、都内の僕らはゆりかもめの台場駅の改札口で弟に見送られて帰った(その後新橋でもう一杯…のつもりが、日曜夜で店がどこも開いてなくて仕方なく帰った…というのは秘密)。
ホテル日航東京/部屋からの夜景
 翌朝弟から、“ホテルのロビーでドラマの撮影中”とメール。『ホテルコンシェルジュ』というドラマのロケ場所だったらしい。へぇ〜、知らないけど「姉さん事件です」。
雑記とか。 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

ルノー・トゥインゴ(初代)が好き。

 実は一度も乗ったことが無いんだけど、2年ほど前から我が家の次期愛車の最有力候補。勿論購入予定は未定。この記事カテゴリーの名前は『持てないけど車が好き』…だ。先日ルノーの新しいルーテシアに試乗したんだけど、それにちょっと刺激されてトゥインゴのことを書きたくなり…。

 とりたてて車の必要性は無い我が家で次期愛車の話が出始めたのは、数年前から夫婦の間で盛り上がり始めた北海道への移住話がきっかけだった(十勝視察旅行)。で、もし北海道に暮らすなら車は必需品だよねぇ〜と。要するに物欲話なんだけど。
 まぁ、それで、必要で買うんだからとりあえず何でも良い…とは思えないのが僕ら夫婦の悪いところで、二人がこよなく愛するクロモリフレームの自転車機械式腕時計、スナップオンのミラーツール、そしてコッパちゃんの様に、使っていても見ていても嬉しくなる様な車が欲しい。但し、可能な限り安く…と。
 僕らの車の好みは基本的に旧車の部類なんだけど、日常の足にもなり格安で…となると、あまり古い車は難しいので、'90年代頃以降の“チョイ古”欧州小型車辺りが現実的になる。もう少し古い方が魅力的な車は多いのだけど…。

 で、北海道と言えば雪国、雪国と言えば四駆…となるんだけど、欧州コンパクトにはAWD(4WD)車がほとんど無い。パンダ4X4くらい(僕は好きなんだけど…)。多分欧州では、小型車に四駆なんてそもそも不要で車重と価格が上がるだけでムダ…ってな感じなんだろう。小型車の売れ筋は日本と違って大抵最安グレードだし。メーカーもユーザーも合理的だ。確かに、僕も去年、数年ぶりに真冬の北海道を少しFFで走ったけど、最近のスタッドレスならほとんど問題無く走ることができる。
 ただ、雪道を「走れる」か「遊べる」かで考えると、、雪の峠道でAWD車をアクセルでコントロールするのはかなり面白いのも事実で、僕自身が“北の国”でもFFで十分…と割り切れるまで時間が掛かった。勿論嫁にはその視点は全く無いけど。

 あぁ、そう言えば1台だけ、嫁が大いに気に入った欧州製の小型四駆があった。旧ソ連時代から未だにロシアで作ってるラーダ・ニーヴァという車。初代パンダを丸目にして眉毛を付けた様な顔でファニーだし、何十年も変わらないカタチがイイ。
 今はエンジンがフォード製で足回りや細かいところも改良されていて、それならガワは旧車でも中身に信頼性もあるし…なんて思って調べたら、新車が300万円もする。一瞬で膨らんだ期待が消えた。仮に300万円で車を選ぶとしても、ニーヴァには…。

 さて、前置きが長くなったけど、兎に角'90年代以降の欧州FF小型車の中で、僕ら夫婦が“次期愛車”として合意に至ったのが『ルノー・トゥインゴ(初代)』だ。本国フランスでは'93〜'07年まで、14年間もスタイルを変えずに販売されたロングセラー・モデル。コンパクトでファニーな見た目に騙されるけど、内容は合理的で実用性が高く、欧州コンパクト・ハッチの鏡の様な車だ。
 左ハンドルのみ、ミッションが5MTかeasy(イージー)という“AT未満”みたいな2ペダル車しか無かったことや、途中でインポーターが変わったり等も影響して、当時139万円(MT)という輸入車としては破格の安さだったにも関わらず、日本ではあまり売れなかったけど…。
 しかしこのトゥインゴの写真を嫁に見せた瞬間、その『涙目フェイス』に一発で惚れてしまった。

↓多分、嫁の中ではトゥインゴはこんな風に見えてる(発売当時の広告用イラスト)
初代トゥインゴ・広告イラスト

 現在40代半ばより上の車好きなら、初代トゥインゴで思い出すのはホンダの初代トゥデイだと思う。少なくとも僕はトゥインゴの発表当時に、「トゥデイじゃん!」とツッコミを入れた一人だ(もっともルノー自身が、トゥデイをベースに…という話を否定していなかったらしいけど)。
 だから嫁がいきなりトゥインゴを気に入ったのは僕にはちょっと意外だった。てっきり「なんか軽みたい…」とか言うモンだとばかり。でもそれは僕がトゥデイを知ってるから思う訳で、嫁はトゥデイを知らず(涙)、全く先入観無しにトゥインゴの良さ瞬時に感覚的に理解した訳だ。むしろ僕の方がトゥインゴを少し偏見の目で見ていたかも…。
 実際のトゥインゴは、550cc軽規格だったトゥデイよりふた回りは大きく見える。直線基調で平板なトゥデイと丸みのあるトゥインゴとでは実車の印象はかなり違って、同じ“モノスペース・ボディ”でもトゥインゴの方がずっと膨よかで愛嬌がある。
ルノー・トゥインゴ(2002)
(画像出典:NewCarShow.com

 と言っても、現代の目線で見ればトゥインゴは相当小さい車で、今の660cc軽規格と比べて全長は3cmしか違わないし、全高はハイト系が主流になった軽よりもずっと低い。
 確かに現在の軽(特にハイトワゴン系)に乗ると室内の広さには本当に驚く。特に後席の足元はヘタな普通車とは比べものにならないほど広大だし、天井は頭上の遥か彼方にある。ただ…昔程では無いけど…やっぱり横方向が窮屈だ。
 その点が横幅は5ナンバーサイズのトゥインゴは余裕がある。低い車高でも頭上に窮屈な印象は皆無。室内を広げるためにタイヤを四隅に追いやり、全高を低くし重心を下げた車体は、当然ながら走行の安定感に大きく貢献するはず。トゥインゴは実用性・快適性を損なわない範囲で最もミニマムなサイズ感じゃなかろうか?…と思ってしまう。そんな合理性に、ファニー・フェイスで可愛いだけじゃない、使い勝手の良い“道具感”があることが、トゥインゴの最大の魅力。
 まぁ、まず軽サイズ枠ありきで作られた車と、必要最小限の最適化を考えて出来た車を比べてしまうのは、ちょっと日本の軽には酷な話ではあるけど。

 僕がトゥインゴのエクステリア・デザインで特に気に入っているのは、ボディー下部が内側に織り込まれて丸くなっているところ。昔の車は下部がこういう形状になっていたのは普通だったんだけど、空力が低速域でも意外に燃費に効くと分かってからは、スポーツモデルじゃ無くてもアンダー・スカート付きデザインになってしまった。フロントとボディー側面が地面近くまで「ストン」と垂直に落ち(ヘタすると少し逆反りして)、最下部を「スパッ」と切る処理。僕はどうもあれが好きじゃない。なんか蓋の無い入れ物をひっくり返したみたいで…。

 車内は極めてチープ。ドアパネルの一部やピラーの内側が鉄板剥き出しだし(それが良いんだけど)、デザインも質感も背伸びしたところが一切無い。“身の丈”を徹底的にデザインした感じで非常にシンプル。かつ、実用一辺倒ではなく遊び心もある。ダッシュボードのセンターに「ピョコ!」っと飛び出た半球状の赤いボタンはハザードランプのスイッチで、ちょっとXウィング・ファイターにセットされたR2-D2的(解るヤツにだけ解れば良い)。あるいはモグラ叩き。用も無いのに押したく(叩きたく)なる。
 シートは('98年以降の後期型しか知らない。形状の異なる前期型のシートは未体験)座ると身体後ろ半面をシート全体で支えてくれる感じ。この辺りは良く言われるけど仏車の伝統なんだろうな。少し前に見に行った同じルノーの初期型5(サンク)も、先日試乗したばかりの現行ルーテシアも似た印象だった。
 2ドアなので当然リアシートへのアクセスは4ドアに比べれば悪いんだけど、リアシート自体は前後に大きくスライドし、一番前にすればそれなりに荷物が載るし、一番後ろにすると足を悠々伸ばせるほど広い。シートアレンジもこの時代の車としては多彩。また、リアのシートバックを倒し座面全体を前席側に引き上げると、室内の後ろ半分は床から天井まで目一杯荷室に使える。昼間はちゃぶ台置いてリビング、夜は布団敷いて寝室…みたいな四畳半和室的合理主義が、なんか『ゼン』でイイ。
ルノー・トゥインゴ全席側内装(2002 )
(画像出典:NewCarShow.com

 さて、冒頭で「一度も乗ったことが無い」と書いた。それでもきっとトゥインゴ(のMT)なら楽しいはず…と想像している。
 少し前に、たまたま古い軽トラ(MT車)に乗る機会があって、マニュアル車を運転するのは10年以上振りだったので、エンストや少しギクシャクした運転になるかな?と、走り始める前は若干緊張したんだけど、最初にクラッチ繋いだ瞬間から身体が感覚を覚えていて手足が自然に動き、その後はひたすら楽しくて仕方なかった。シフトタッチが良いとか、エンジンが楽しいとか、そういうエモーショナルなのは一切無い。単純に、軽くて非力な車をマニュアルで上手く走らせる面白さだった。車を手放して以来借りる車はAT車ばかりだったので、もうすっかり忘れていた感覚。
 いや、すっかり忘れていたと言うより、今ドキ2ペダルMTだってある訳で、もうクラッチ付きのMT車なんて街中で面倒臭くて、二度と欲しいなんて思わないだろうなぁ〜と思っていた。スポーツカーならともかく。だから逆に自分の気持ちが新鮮だった。
 そうか、そう言えばクロモリ・ロードを買ったときも同じだ。普通に自転車に乗るだけで楽しいことに、偉く驚いた。それは3年半経った今でも同じ。楽しくてずっと乗っていたい!というんじゃなく、近所へ買い物に行くチョイ乗りでも、軽い自転車でいちいちギアを選びながら走るのが、毎回ちょっとずつ楽しい。
 やっぱり“上手くクラッチを使って”ってところがミソだな。サーキットで1秒を争うなら機械の方が上手いだろうけど、楽しく乗るならクラッチが必要(渋滞の無い地域で乗る予定だし…)。
 それでMT車がちょっと気になって試乗したのが、最初に少し触れたルノー・ルーテシア。今年の1月にラインナップに加わった0.9Lターボの5MT。欧州で大流行りのダウンサイジング・ターボ車なんだけど、Bセグとしては軽量(1.1t)で非力(90馬力)な車で、スポーツ・グレードでは無いのにまさかのMT仕様が日本に入って来た。勿論本国では一番の売れ筋だ。
 これが流石に現代のルノー車で、とてもフレンドリーで楽しくて良かった。シフト・ストロークは若干あるものの簡単にスコスコ入るし、クラッチも軽くて操作し易い。まぁ、細かい評価は置いておいて、『軽量+非力+MT』の“ルノー車”はやっぱりイイ。ただ普通に走ってるだけで「これで十分!」感がひしひしと伝わって来る。
 さて、翻って初代トゥインゴ。車重は850kg(MT )、エンジンはNAで58馬力、トルクは9.3kg。今ドキの軽ターボに軽く負けるスペックだけど、『軽量+非力+MT』の“ルノーの小型車”だ。何も問題無い…いや、きっと楽しいはず。誰か持ってる人、試乗させて頂けないだろうか?本当に。

 とにかく初代トゥインゴは、全力のミニマル・デザインと全力のチープさが気持ち良く融合した、稀有な生活コンパクト・カーだなぁ〜と思う。超マジメでユーモラス。そしてキュート。いつか我が家に迎え入れられたら、きっと楽しい。

↓とりあえず、今ウチにあるのはNOREVの1:43のミニカー。“アニス・グリーン”という車体色なんだけど、嫁はこの色が良いらしい。
ルノー・トゥインゴ NOREV 1:18
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お盆の帰省。

 一昨々日、千葉の実家に一泊だけお盆で帰省した。実家での法事に出るため。去年は6月頭に母が亡くなり、初七日、四十九日と7月下旬まで法事が続きお盆はスルーしたので、今年初めてお盆にお経を上げて貰った。

 で、気付いたのだけど、生まれてこのかた本来の意味でお盆の帰省をしたことが無かった。子供の頃は母親の実家である札幌へは夏休みにも何度か帰ったことがあるけど、その頃はまだまだ祖父母とも元気だったし、夏休みがあまり無かった親父と実家の鹿児島に行ったことは幼少の頃に1度しか無く若干疎遠だったので、ずっとお盆の帰省とは無縁だった。僕が実家を出てからは夏の帰省先はたまの札幌から毎年千葉になり、わざわざ料金も高く混んでいるお盆時期に札幌に行くことも無くなり、今年が49歳にして初めて本来の『お盆の帰省』になった。

 実家の仏壇の前でお坊さんにお経を上げて貰った。身内だけの法事なので全員の焼香もすぐに終わり恙無く終了。僕と同世代らしきお坊さんは、実はバイク好きで大型バイクに乗っており…という話は、死ぬまで僕がバイクに乗っていることに反対していたお袋には内緒にしておこう。

 法事が済んだあと、実家から車で数分の墓地へ墓参り。一周忌からまだ二ヶ月しか経っていないので久しぶりという感覚も無いけど、来る度に季節は変わるのでやはり頻繁とは言えないな。次はいつになるだろうか。今年の春に首都高のC2が湾岸まで繋がり、バイクなら実家まで1時間掛からずに帰って来れる様になったけど、やっぱり中々足が向かないモンなぁ…。
 一緒に眠る“ねこ達”にも一言挨拶してお墓を後にした。
2015お盆墓参り
 今回の帰省で、6月中旬に弟夫婦の間に生まれた長女と初対面した。父にとっては初孫。当然僕にとっても初姪っ子になる。自分の子供では無いから、いとこの子に対する感覚と然程変わらないかな?と想像していたけど、生後二ヶ月の姪っ子を見た途端、なんだか妙に可愛く思えた。どういう神経構造なのか全く分からないけど不思議なモンだ。弟や僕の赤ん坊の頃の写真にどことなく似ていて、やっぱり血の繋がりは感じた。似てるから可愛く思える…と言う訳では全然無いんだけど。

 弟がポツリと「あと1年生きててくれたらなぁ」と。勿論、お袋が待ち望んでいた孫の顔を見れたら喜んだだろうし、もしそんなお袋を見れてたら弟だけではなく僕も安心しただろうけど、まぁ、仕方ない。ウチの家系からようやく一つ下の世代に繋がったことが良かったなぁ〜と思うし、それ以上に目の前に居る姪っ子の姿に愛おしさを感じることが、単純に幸せだと思う。

 その弟の一言を聞いて、僕もひとつだけ心残りがあった件を話した。自分を生み育ててくれた感謝の気持ちみたいなことを、結局お袋に伝えそびれて終わってしまったこと。もしかしたらなんとなく伝わっていたかもしれないけど、お袋が安心するような生き方は何一つしていないので、やはり口に出さなかったことは少し後悔していた。
 なんて弟に話したら、「でも、それって死に際の別れの言葉みたいで、まだ生きてるときに話すタイミングが判らなかったよねぇ」と。そうだ。そうだった。その通りだ。どうやら弟もそう思っていたらしい。

 結局のところ、生前の出来事…何もしなかったことも含めて…がお袋との全てで、それ以上でも以下でもないな…と、改めて感じたお盆の帰省。


僕と嫁さんの叔父さん叔母さん振り↓
姪っ子初対面
雑記とか。 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)