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鉄道模型趣味、と言うか…。

 “CD断捨離”の記事の冒頭で一言だけ触れたけど、子供の頃に集めたNゲージの鉄道型を、割と最近まで処分せずに(実家に)とってあった。いや、普段目にしないが故に忘れて放置していた…というのが現実に近いか。

 小4か小5くらいだったか、名前は忘れたけど文庫本サイズほどの鉄道模型の本を手に入れた。その本には“Nゲージ(線路幅が9mmの規格)”の詳しい説明やカラー写真も沢山掲載されていて僕はボロボロになるほど読み返し、1:148〜160のリアルな鉄道模型の世界にグイグイ惹き込まれた。物心着いた頃には既に鉄道が好きだったし、鉄道に限らずミニチュア模型やジオラマに惹かれる体質だったので(これは今でもだけど)、当然の流れだ。
 ただ、残念ながらお金持ちの家の子では無かった僕は、大人の趣味である鉄道模型を早々買い集めることは出来ず、たまの親へのおねだりや少ないお年玉を使って、2〜3ヶ月に一度、1両ずつ買うのが精一杯で、普段は模型店のショーウインドウを端から端まで1時間くらい眺めて帰る…というのが、小学生だった僕の鉄道模型趣味の“楽しみ方”だった。

 一番最初に買ったNゲージは、国鉄最初のブルートレイン『あさかぜ』(東京〜博多間)登場時にデビューした“20系”という型式の中で、編成末端に連結されていた“ナハフ20"という車両。“鉄な人”なら20系と言えば最初に思い浮かぶ顔的な車両だ。確か当時千円しなかったと思うけど、小五の僕は最初に何を買うか相当迷ったのを覚えている。その頃ブームだったスーパーカーの1:24のプラモデルとほぼ同じか少し高かったので…(プラモデルは買った後作って楽しめるけど、鉄道模型の車両は揃えて走らせるまでは…)。
 その後編成のもう一方の端になる電源荷物車の“カニ21”、中間に挟まれる食堂車の“ナシ20”と数ヶ月掛けて増やし、確か当時5千円くらいした牽引車(つまりモーター付き)の“EF65-500番台”をもの凄く緊張して購入し、漸く最低限の1編成ができたときは嬉しかった。ただ、ブルートレインなのに寝台車両が1両も入って無いという状態だったけど…(ナハフ20は座席専用車両)。
 でもその後は20系熱が若干冷め、同じブルートレインでも新型の24系を揃える方向に行ったり(当時発売されたばかりの24系は細部の出来が良くて)、電車型寝台の581系や“湘南電車”と呼ばれていたオレンジと緑色の近郊型の113系(この辺りはTOMIXが安かったのが理由だった様な…)、他は400〜500円で買えた貨物車両等をおこずかいが少ないときに“小腹を満たす”的に買っていて、結局20系寝台車は最初の3両以降増えること無いまま、中学時代半ばからはおこずかいはLPレコードへの変換がメインになっていった。
 ただ、鉄道への興味自体は中学以降も続いていて、交通公社の時刻表は愛読書だったし、たまに“撮り鉄”になったり(勿論そんな言葉はまだ無い)、鉄道関連の月刊誌(鉄道模型趣味、鉄道ファン、鉄道ジャーナルの3誌と、たまに鉄道ピクトリアル)を毎号買い続けるほどだったけど、それも大学一年の夏に二輪の免許を取ると同時に鉄道への興味が一気に冷めてしまった。国鉄からJRになってしまったのもあったかもしれない。鉄道のこと自体を嫌いにはならなかったけど(横浜の“原鉄道模型博物館”には感動した!)。

 で、そこから30年近く経って冒頭の断捨離に戻るんだけど、赤羽に“ヤマナカ模型”というちょっと大きめの模型&モデルガン屋があり、そこは鉄道模型の引取もやっていて、1〜2年前に試しに持って行ったら意外にもいくらか値段がついた。そのときは「ブルートレインだけ残そう」と編成が揃っていた24系も残したものの、たいして思入れは無いと考え直して結局24系5両1編成は処分した。鉄道模型を残すのでは無く、あの頃自分が感じていた“空気感”みたいなイメージを形にしておこう…と、一番最初に買った20系の3両とEF65(どちらも一部壊れてたのもあり)だけ残すことに。
 そうなると気になるのが『ブルートレインなのに寝台車が無い』という点。断捨離したのに新たに買い足すなんて本末転倒だし、買い足すのは「思い出なのか?」ということもあり、あまり考え無いようにしていたんだけど、先週またちょっと思い出してヤフオクを見ていたら、丁度足りなかった当時の旧製品版の2両が1500円で出品されていて、思わず落札。約40年掛かって20系のブルートレイン1編成がコンプリートした(旧製品は当時5種類のみ)。
 実はヤフオクで検索すると20系は沢山出品されてるんだけどそのほとんど’が新しいモデルで、比べると流石にディテールの出来が素晴らしいし、車両の種類も凄く増えていてちょっと買い揃えたくなるほど。…勿論買わないけど。
 兎に角、足りない寝台車だけ最新モデルになるのも…と思っていたので、ちょうど欲しかった2両の旧製品が出てたので、もうこれで思い残すことは無い(…なんだかんだ言って実は結構満足)。

 鉄道が趣味では無くなってからも心の隅にはずっと、生涯一度くらいは鉄道がメインの超細密な“ジオラマ”を作ってみたいという気持ちが消えずに残っていたんだけど、去年“ドロオフ”という模型作りの有志の展示会や、つい最近巣鴨にある“さかつうギャラリー”で超細密な模型やジオラマを見て久しぶりに模型熱が触発されて、あのレベルは無理としても自分で少し作ってみたくなった。あまり趣味を増やしたくは無いんだけど…(苦笑)
 まぁ、そんな訳で、手元に残したブルートレイン1編成を飾るための細長いショーケースを、ちょっとした“風景”付きで作ろうと思ってる。イメージは夜のホームに停車中のブルートレイン。ストラクチャー(建造物等の意味)も含めてなるべく市販品を使わず手造りして、既存製品も出来る限り細部まで手を入れてみようと思う。なので車両も作りの甘い旧製品でOK。子供の頃に憧れた国鉄時代の“寝台特急の旅情”をディスプレイ化するのが目標。

 とは言え、少しずつ気長に。

Nゲージ/KATO/旧製品/EF65-500+20系(1)
この6両編成で全長80cm弱。
Nゲージ/KATO/旧製品/EF65-500+20系(2)
後ろから。最後尾のナハフ20の丸い屋根が20系の特徴。
Nゲージ/KATO/旧製品/EF65-500
EF65 500番台。最初のブルートレイン牽引専用カラーの電気機関車。「やっぱり500番台がカッコイイなぁ〜」とか言ってた気がする。
Nゲージ/KATO/旧製品/カニ21
カニ21。『カ』は重量級客車の意味で、『ニ』は荷物車。20系はこの車両に編成の電源を集中し(だから重い)、客車の屋根部分を車両限界まで高くし空間を広げた。荷物部分は5t積めたらしい。
Nゲージ/KATO/旧製品/ナロネ21
ナロネ21。『ナ』は軽量客車、『ロネ』はA寝台の意味。ちなみに『ロ』だけだとグリーン車。『ネ』が寝台の意味。
Nゲージ/KATO/旧製品/ナシ20
ナシ20。『シ』は食堂車の意味。昔は特急列車と言えば食堂車がついていたけど、子供の僕には食堂車付き特急を選べる選択権は無く、極稀に食堂車で食べれたときは嬉しくて仕方なかった。
Nゲージ/KATO/旧製品/ナハネ20
ナハネ21。『ハネ』はB寝台の意味。『ハ』だけなら普通車。B寝台の三段ベッドの一番上に寝るのが好きだったけど、実は上野発の581系ばかりで20系に乗った記憶が無い(多分幼稚園の頃に一度乗ってる筈…だけど)。
Nゲージ/KATO/旧製品/ナハフ20
ナハフ21。『フ』は緩急車(車掌室と手ブレーキ設置)の意味。しかし、寝台特急に座席車両があったのが不思議(後に全て寝台車に改造されナハフは消えた)。
Nゲージ箱/さらば宇宙戦艦ヤマト
小学生当時作った“さらば宇宙戦艦ヤマト”のプラモデルの箱に入れていたのが、今もそのまま。ヤマトのプラモデルは数年持たずに爆破/撃沈された気がする…僕に。
雑記とか。 | permalink | comments(4) | trackbacks(0)

この記事に対するコメント

Nゲージは、僕にとっては、息子との共有時間を持つために、自分も楽しみながら集めました。ベニヤ板に線路を作り、板の下にキャスターを付けて、彼のベッドの下に格納できるようにしました。
プラモデルも毎週、1台は作っていて、一緒に300台くらい作ったのを覚えています。
一緒に造るのが楽しかった。彼が今、それらをどうしているか知りません。
いい思い出です。
徳山てつんど | 2015/11/04 3:48 PM
てつんどさん

それは羨ましい限りで…^^;
記事に書いたように、結局車両をコツコツ集めるのが精一杯で、レイアウト(ジオラマ)を作ること無く終わりました。
しかし、プラモを毎週1台、合計300台ですか…。僕はクルマ、戦艦、戦闘機、ヤマト系を全部合わせても、多分30個も作って無いと思います。子供の頃にそんな状況だったら、もっと違う人生を歩んでいたかもしれません(笑)

そう言えば、親父と一緒に遊んだ記憶がほぼありません。それが普通だと思っていたし、嫌っていたとか無いんですが(笑)、親父と普通に話しをする様になったのは、大分大人になってからだった気がします。
moriy | 2015/11/04 6:21 PM
親父とは、5歳の時に決定的に喧嘩しました。高校から独り立ち。奨学金と親父の友達の援助で、大学を何とか卒業。

だから親父とは遊んだことの記憶はほとんどありません。その見返りに、息子とは共有する時間を持ったわけです。彼は大学は公立の機械工学に進みました。もしかしたら、モノづくりの興味を持ったきっかけになったのかと、親ばか。今も製品開発のエンジニアをしています。

僕と親父が普通に話せたのは、あなたと同じで、子供ができたころからでした。それ以前は、全く無関係でした。

そんなこんなで、このブログ、記憶を刺激してくれました。ありがとう。

徳山てつんど | 2015/11/04 10:29 PM
てつんどさん

5歳のときの記憶なんてほぼ無いです。何にも考えて無かったし親は絶対な存在でした。^^; そんな年で人生を左右する様な父親との決定的な喧嘩…って、凄すぎます。

息子さんが製品開発系に行ったのは、その子供の頃の環境は絶対大きいと思います。成長期に人よりずっと沢山製作の経験を積んでいる訳で。

しかし、いろんな人生がありますねぇ。
moriy | 2015/11/05 1:18 PM
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